いつの間にか75歳になってしまった。弁護士会で永年勤続の表彰を受けるようになったし、家裁の調停委員を定年退職することも経験することとなった。自分の人生を省みると、一番長く付き合ったものは、弁護士業よりも表題に掲げた碁だったと思うので少し書いてみる。
碁を覚えたのは旧制中学の頃で、父より教わった。父は典型的な田舎初段で私に井目置かせて得意がった。大学では囲碁部を作り、仲間と毎日のように打ち合った。丁度、前田陳爾先生が日本棋院を脱退して仙台を本拠にして囲碁新社を作って活躍しておられたときなので、私の郷里の仙台の碁会所はなかなかに活気があったし、学生仲間の囲碁熱も今よりも盛んであったような気がする。
司法修習生(13期)のうちでは私はトップクラスの打ち手として知られたがトップではない。この番付は私の一生について廻り、富士山で言う8合目クラスには属するがナンバーワンにはなったことがない。これではいけない、努力してもう1目強くなりたいと本だけはずいぶんと買ったが上がることが出来ない。鉄棒にぶら下がっているような努力で、落ちはしないが上がることができない。といって本業をほったらかしにして碁ばかり打つわけにもいかないので仕方がないかとあきらめたものである。
全国法曹囲碁大会が開催されるようになり、一弁の選手として10年以上勤めた。何度か優勝し、個人戦で1度本因坊になったのが唯一のタイトルである。碁に関する思い出は多々あるが、一つだけ書いておきたい。もうはるか昔だが、一弁の碁の会に出たら、司会者からこの方の打ちなさいと言われた。その相手が戦時中の大東亜省大臣を勤めた青木一夫先生である。齢90歳を超えておられた。恐らく戦後はパージされていたのであろう。互先で一生懸命打ったが、約1時間半の対局中、先生は一度も姿勢を崩さず一手もおろそかにせず、熱心に打たれた。自分が90歳になったとき、これだけの碁を打てるかと思うと共に、軍国主義者だの戦犯だのと気楽に悪口を言う前に、個人的な人格は歴史的評価とは別なのだと思い自省したものである。
幸いに、と言うより幸か不幸かと言うべきだが、私も70歳を超えてから本業の方が暇になってきた。よし、人間努力を止めるべきではない、もう半目強くなってやろう、とひそかに勉強している昨今である。