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エッセイ

ああ靖国のお父さん

杉本 秀夫 会員

私は靖国神社に特別の思い入れがある。

国民学校2年生の頃だった。大東亜戦争突入2年目である。「幼年クラブ」の靖国神社奉納作文コンクールに応募したのである。多分文学青年だった兄に勧められて、その気になったのである。

奉納作文にふさわしく題は「村葬」。その頃戦死した兵隊さんの白木の箱は、国民学校の全生徒が出迎える駅頭へ帰ってきた。そしてその葬儀はすべて村葬だった。

私の書き出しはこうだった。「その日学校でAさんの村葬がありました。僕は朝電車道を歩いて学校へ行きました。」

兄は私のこの作文を見て、「お前これはあかん、だいいち、学校へ行くのに電車道を通ったらあかんのや。それにこれでは日が暮れてしまう。もっといきなり村葬のことを書くんや」ということだった。

それももっともだ。しかし現実に僕は電車道を歩いたではないか。それにそもそもこんなに細かいところまで教えてもらったら一体僕の「作文」はどうなるんだろう。

それが私の作文と言えるものだったのか、そのあたりのところは記憶にない。ともかく私はそれを東京の「幼年クラブ」へ送った。「優勝はとても無理だ。佳作にでもなればたいしたものだが」と兄は心細げだった。
数カ月後の発表を見て私は驚いた。私の一作は優勝はもとより2位にも3位にも、そして佳作にも入っていなかった。私が驚いたのはこのことではなかった。「優勝」作品の素晴らしさだった。

忘れもしない。それは6年生ぐらいの生徒のもので「ああ靖国のお父さん。・・・」ではじまっていた。その先はあまり記憶にない。

しかし出だしの一行が総てであった。そこには何よりも原体験があった。そこには、父も兄も親族も1人も戦いで失っていない私にはとうてい太刀打ちできない迫力があった。

この時私は、作文は決して創り出すものではない、必ずその背後に豊かな経験、深い思考がなければならないということをいやというほど思い知らされた。

そしてそれは、国民学校2年生で入賞して有頂天になるよりは、はるかに貴重な経験だった。

市ヶ谷方面に向かう車窓から靖国神社の大鳥居を見かけるとき、私はいつもこのことを思い出すのである。

 

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