自閉症の子どもたちと接するなかで「障害」について思うこと
長谷川 敬祐 会員
司法試験の勉強を始めたころ、勉強嫌いの私は、勉強だけではとても息が詰まるということで、地元でボランティア活動をしようと考えました。そこでたまたま目に付いたのが、自閉症の子どもたちの付添いボランティア。
当時の私の自閉症のイメージは、「ギルバート・グレイプ」(1993年・米映画)のレオナルド・ディカプリオが演じるアーニー。アーニーは、比較的重度の知的障害を伴っていたのですが、自閉症の子はみんなアーニーみたいだと思っていました。
しかし、実際に子どもたちと接してみると、これは大きな間違いであることに気付きます。「自閉症」という一つの言葉で表現されるけれども、「自閉症スペクトラム」という概念があるように、一人一人全く違います。アーニーのように手をひらひらさせる子もいるけど、全くそんな素振りを見せずにずっと一か所にいる子、「あなたのお名前はなんですか?」とみんなに聞き続ける子、いろいろです。とはいえ、これは自閉症の子に特徴的な行動といわれるもの。私が接するなかでわかったことはそんな教科書的なことではありません。
それは私たちと何も変わらないということ。クラスメートを好きになったり、学校でいじめられていることを辛く思ったり、お姉さんのボランティアに当たると嬉しくなったり(!)、私みたいなうるさいボランティアに当たるとがっかりしたり(!!)。
性格も一人一人違います。学校時代をイメージしていただけるとわかると思うのですが、運動神経のいい子、おしゃべりでお調子者の子、無口だけど友達に気を使ってくれる優しい子、強がっているけど気が弱い子などなど、みんなそれぞれです。
私の接し方も変わりました。最初は、頭でっかちに、その子が持っている「障害」はなんだろう、どうやって対応したらいいのだろうと本やインターネットで調べていました。しかし、今は子どもたちの障害診断名は気になりません。気になるのは、障害うんぬんよりも、その子の性格、その子はどういう子で、何が好きで、何が苦手とか、どんな悩み事を抱えているかとか、そういったことです。もはや障害の子どもたちに付き添う、そういう感覚はありません。
障害者の方が実際に社会で弊害が生じてしまっている以上、各障害の特性を勉強したり、その障害を社会に周知させたりすることは重要なことだと思います。しかし、他方で(あるいは異なるレベルの問題として)、自閉症の子どもたちと接するなかで思うことは、「障害」というのは、その人たちが持っている機能不全ではなく、ある価値観を持つ社会が勝手に作りあげたものに過ぎないのではないかということです。
そんなことを考えさせられながら、もうボランティアも9年目に突入しました。ただ、今では、ボランティアというよりも、ただ遊びに行っているだけになっていますが…。